わたなべばうの日記

WATANABEさんチの育児ブログです。

産後の入院生活②

両脇にしこりを見つけたわたしは慌てて助産師さんにソレを見てもらいます。

助産師さんの見解はいかに、、?

 

「これは…」

「副乳ですね」

 

ふ、ふくにゅう、、?

 

出産したら出てくる人はわりといるし、その内消えてまた気にならなくなるから気にしなくて良いというような事を言われたのでした。

 

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知識不足のわたしはとにかく癌でなくてよかったと心底ホッとしたのを覚えています。

 

さて、わたしの母乳事情ですが、出産直前(陣痛時)から少し滲む程度に出始めていました。

(陣痛の最中だというのに何度か助産師さんに乳首をつままれてチェックされていました…)

そんな感じだったのでカンガルーケアの時には初乳をあげる事が出来ました。

 

体調がマシになってきた産後2日目は車椅子なしで動く事が出来たのでここでやっと沐浴・調乳指導などを受けます。

わたしがお世話になった産院では母子揃って指導を受けました。

(どこもそうなのかな?)

わたしの息子は出産してすぐ低血糖と言われてずっと手の甲に点滴をして新生児室にいました。

わたしも昨日は指導をスキップしなければいけないくらいに安静にしていなければいけなかったので息子には1回しか会う事が出来ませんでした。

だからなんだか今日は久しぶりの再会のような気がして少しドキドキしました。

 

沐浴はともかく調乳指導では粉ミルク作り以外に実際に母乳をあげる指導が入るのですが、これがわたしにはとても難しかったです。

吸われている感覚をつかむ事が出来なかったため、実際には息子は母乳を吸えてないのに、吸われているとわたしは長らく勘違いをしていました。

何もかもが初めての事で何事もよくわかっていないわたしは、授乳出来た!と浮かれて、それから息子と初めての昼間の母子同室を経験しました。

 

とてもよく眠る子だったので動かないと生きているか不安で何度も何度も呼吸しているか確認しました。

息子を置いてトイレに行くのもとても緊張しました。

 

わたしの病院では入院中は、母乳の後に糖水を足してあげていました。

(新生児室では状況を見て粉ミルクをあげてくれていた)

オムツを変えて糖水を作って冷ましている間に母乳をあげて、そして最後に糖水をあげてゲップをさせていたように思います。

 

その日の夜、新生児室に息子を預けに行った後あたりから自分の胸がカチカチのガチガチになっていくのを感じました。

夜中には涙が出るくらいに痛み、熱も持っているようで全く寝られませんでした。

夜中に回診に来てくれた助産師さんに相談すると乳腺が詰まりかけているという事で、胸を冷やすためのアイスノンをもらい、それから3時間毎に自分の手で軽く搾乳をするように言われました。

朝方には自分で自分の胸を触る事が出来ないくらいに痛んでいたのですが、出産をした途端に訪れた身体の様々な変化に気持ちがついて行かず、心がすでに不安定な状態でした。

 

翌朝、息子を迎えに行くと、助産師さんに昨晩息子がおなかを空かして泣きわめき粉ミルクの飲みっぷりが凄かった旨を説明されました。

もしかして昨日全然母乳あげれてないんじゃないかと言われました。

自室に連れていかずにここで授乳し、糖水ではなく粉ミルクを足すように言われました。

胸が痛くてガチガチで上手く飲ませる事が出来ませんでした。

わたしだけ別室に連れて行かれ痛くて泣きながら母乳マッサージを受けた後、授乳開始前に毎回しっかり乳房のマッサージを行い、それから30分かけて左右の胸から哺乳瓶に搾乳を行うように言われました。

搾乳後に授乳を開始し、その後搾乳した母乳をあげてください、その搾乳出来た母乳の量で最後に足す粉ミルクを加減するとの事でした。

 

胸は熱いし痛いしでもう何がなんだかわからない状態でしたが言われた通りにする事にしました。

これによりわたしの授乳タイムは軽く1時間はかかり酷いと2時間程要するようになりました。

 

更にこの後すぐ息子が黄疸である事がわかり、専用の光線装置に入るため新生児室から出られない事になりました。

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(これは簡易版の光線装置に入る息子)

 

この光線装置には結局退院の当日まで入っていたのでわたしは息子との母子同室を昨日の昼間1回しか経験する事が出来ませんでした。

後はずっと3時間置きに新生児室に通い、他のお母さん達が自分の赤ちゃんを笑顔で迎えに来る中、わたしはその場にポツンと椅子に座りガチガチに痛む胸に涙を流しながらどうにか息子におっぱいを咥えさせて必死に授乳をしていたのでした。

 

もうとても辛かったです。

辛いだけでなく惨めな気持ちもありました。

悔しさもありました。

 

痛い思いをして時間をかけて搾乳しても5㎖程しか搾乳出来ない。

授乳の時だけ装置から出してもらう息子は光線から守るために目元にガーゼを貼られていて目を見る事も出来ない。

わたしの母乳は出ているのかよくわからないし自信がない。

母乳あげれてないからおなか空かせて泣いていたという助産師さんの言葉があたまに何度も響く。

みんな自分の赤ちゃんに母乳あげれて赤ちゃんをおなかいっぱいにさせてあげているのにわたしは出来ていないと思うと息子に申し訳なくて悔しくて悲しかった。

どうして他のお母さんは出来てるのにわたしだけ上手く出来ないんだろう。

 

息子を自室に連れて行けない事も嫌だった。

わたしの授乳が下手だから仕方ないのだけど、他のお母さん達が出入りしたり、色々な助産師さんがいる中で見られながら落ち着かず授乳するのもストレスでした。

 

授乳が終わったらわたしひとりだけ部屋に戻る。

部屋に戻ってもわたししかいない。

他の部屋からは赤ちゃんの泣き声が聞こえてきて、それを聞きながら次の授乳の時間をぼーっと待っていました。

 

今になって思うと昼間も赤ちゃんと同室しなくていいなんてラッキーやん!今のうちにたくさん昼寝でもしておきなよ!とあの時の自分に言ってあげたいけど、

言ってあげたところであの時のわたしはすでに聞く耳なんか持っていなかったかもしれないなぁと思ったりします。

それくらい一気に心がやられてしまっていた。

 

そんな中わたしのお見舞いに来てくれた友人達や義父母にも折角遠方からわざわざ来てくれたのに息子を会わす事が出来なくて(息子が新生児室にいて新生児室はお母さん以外は入室出来ない、窓にカーテンがあり外から覗く事もできない)それもまた申し訳ない気持ちでわたしをいっぱいにさせました。

事前に赤ちゃんは新生児室に入ってしまって会えない旨は伝えていたけど、それでも来てくれたのはみんな赤ちゃんではなくわたしに会ってくれるためだとはわかってはいたけれど、それでもいたたまれない気持ちで自分を責め続けました。

 

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続きます。

 

 

 

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