娘の事ではあまり悩まない。
悩まないようにしている。
考えても仕方がないし、そこにいる娘はどんな娘であれ結局可愛いから。
でも今日はお兄ちゃんの幼稚園の送迎で癇癪して結構堪えてしまった。
大きくなって重くなってきたので抱っこしている時に癇癪で暴れられると彼女を落としそうになる。
今日は低い所からだけどとうとう落としてしまって、コンクリートの地面に頭を思い切りぶつけさせてしまった。
この癇癪のせいでいつか車にはねられたり大怪我しそうだと前から思っているわたしは、ああ、やってしまった…の気持ちでいっぱいになった。
こんな子がお兄ちゃんと同じ幼稚園に行けるんだろうか?
泣き喚く娘を必死に押さえつけているわたしを見て周りのおかあさん達はどう思っているんだろうか?
惨めだなぁと思った。
もうすぐ3歳になるのにいまだに全然会話が出来なくて、わたしが泣いていようと怒っていようと興味もなさそうに淡々と自分のしたい事だけをする娘だ。
娘はただ、生きているだけだ。
喜びや悲しみを分かち合ったり、気持ちに寄り添ったり、共感する事もない。
娘という存在はわたし達夫婦にとって、ただ可愛いペットが自宅にいるようなものだ。
つらい。
娘がもし普通の子だったら
もう今頃一緒に会話出来るのだろうかとか
わたしが泣いていたら心配そうに顔をのぞきこんでくれるのだろうかとか
大好きだよと言ったら大好きだよと返してくれるのだろうかとか
息子と娘と3人でもっと公園で遊んだり出来るのだろうかとか
しなくて良い想像をして勝手にしにそうなほど悲しくなるんだ。
悲しい。
なんで。
なんで。
心がとってもとっても黒くなった時、
もし娘がいなかったら、という想像までしてしまう。
春生まれの娘はもうすぐ3歳になる。
なのに全然お姉さんになれていない。
いつまでもいつまでも赤ちゃんで、ああ、もうこの子はずっとこうなのかもしれないって、そう思ってただ涙がとまらない。