どうして第一子の出産後にわたしがあんなに育児に悩んでいたのか思い出しながら書きたいと思っていたのにまたもや月日が経ってしまいました。
前にも書いたと思うのですが、今思い返すと一番の原因は睡眠不足、それからホルモンの影響だと思っています。
でもその時はその原因さえわからなかったのです。
退院後は通常通りだと、2週間検診と1ヶ月検診がある予定でした。
ただ、わたしの場合は息子が黄疸で数時間ですが退院が遅れた事と退院時すでにわたしの情緒が安定していなかった事もあり、上記検診以外にも退院翌日と3週間検診にも来るように言われていました。
自宅に帰った日は土曜日でこの週末からとうとう夫とふたりだけの初めての育児が始まりました。
夫にはすぐにドラッグストアへ行ってもらい、粉ミルクと乳頭保護器を買ってきてもらいました。
母乳をあげる流れは入院中と変わらず、まずはマッサージ、それから哺乳瓶に搾乳、そして直母乳、搾乳した母乳、最後に粉ミルクを足す、の順番です。
わたしの産院では搾乳機の使用をおすすめしておらず(むしろ禁止くらいの言い方だったなぁ…)手で搾乳していたのですが、相変わらず全然量が取れませんでした。
直接母乳を飲ませていても痛くて痛くて乳頭保護器を使用しても血が滲んでいて、血を飲ませていいのか不安になったりもしましたが、そもそも母乳も血液か、じゃあいいかと思ったりもしていました。
とにかく母乳が出ているのかわからない。
それが本当に一番不安でした。
粉ミルクを足しているとはいえ、メインは母乳だったので、メインの母乳が足りていなければこの小さな命はあっという間に消えて無くなるのではないか?
それしか考えていませんでした。
おなかが空いて栄養が足りなくてこの子は死ぬ?
だって固形物の食事食べてないよ、水分だけで生きてるんだよ。
不安なら粉ミルクをもっと足せば良かったのですが当時のわたしは自分の母乳が彼の命綱だと思っており、いらぬ責任感を感じていたのでした。
マッサージや搾乳も真面目にやっていたので相変わらず1時間半〜2時間程、授乳時間がかかっており、あっという間に寝不足になりました。
平日の昼間はわたしの実母にほぼ毎日来てもらい、昼食の用意、買い物、洗濯物、夕食の用意をしてもらっていました。
家事をしない上に食事の準備までしてもらいとてもありがたい環境でしたが、母が来てくれたからと言って昼間に昼寝をする事はわたしの性格上無理でした。
母は昼寝をして良いと言ってくれていたのですが、わたしはどうしてもそれが出来ませんでした。
これも前に書いたと思いますが、母といる時に心が休まる事はないのです。
来てもらえてありがたかったのですが、寝不足が解消される事はなかったです。
母には1ヶ月検診が終わるまでお世話になりました。
退院翌日の検診では息子がメインで、黄疸はもう大丈夫かのリバウンドテストをしてもらいましたがこれはパスしました。
ほっとしました。
わたしの情緒もこの日はまだマシだったと思います。
ここから1週間の夜中の授乳でわたしの精神は崩壊していきます。
授乳がちゃんと出来ているのかという精神的な不安、授乳と授乳の間の1〜2時間しか寝れない体力的な苦痛、乳腺炎になりかけの身体的な痛みでまずは頭がぐちゃぐちゃになりました。
それからひとりでは余裕がなさ過ぎて夜中に夫にも一緒に起きてもらい、わたしが搾乳中彼はオムツ替え、母乳の授乳中に彼が粉ミルク作り、と手伝ってもらっていたのですが、彼は昼間に仕事もあるのにと思うと夜中に一緒に起きてもらっている事をひどく申し訳なく思うようになり、どうしてわたしはひとりで授乳も出来ないのだろう、夫に迷惑かけてしまうのだろうと自分を責めて泣くようになりました。
もう静かに泣くような余裕もなく、毎晩嗚咽をあげて泣いていました。
夫に毎晩毎晩泣きながら狂ったように、ごめんなさい、ごめんなさいと何度も繰り返し謝っていました。
それに対し夫も毎晩毎晩、わたしの目を見て、わたしの肩に手を置いて、迷惑だと思ってない、ひとりでやる事ではない、ふたりでやればいい、だから謝る事じゃない、と何度も言ってくれました。
なのに当時のわたしには彼のこれらの有難い言葉は全く届いていませんでした。
わたしは夫の食事の用意も掃除も洗濯もしていない、昼間仕事をしているわけでもないのに、赤ちゃんに授乳するだけの事もろくにひとりでできていない。
わたし生きている価値ある?
もう消えてなくなりたい。
なにもできない、迷惑しかかけていない、もう無理だ。
わたしおかあさんになるの早すぎた?
こんなにわたしの授乳が下手でこの子もこの先生きていけるのかわからないんじゃない?
母が帰った後、夫が帰ってくるまで、夕方息子とふたりで過ごすのも嫌でした。
オムツを替えても授乳をしても抱っこをしても泣き止まない。
なんで?どうして?
泣き止まない息子を抱きながら一緒に泣いて、どうしよう、どうしよう…と夫に助けを求める電話をしてしまう日が何度もありました。
当時、周りに助けてくれる人がいなかったわけじゃありません。
夫も母も協力してくれました。
友人や遠く離れた親戚もたくさん助言をくれました。
だけどわたしにはなにも聞こえない、誰の声も言葉も入ってこない、暗い事ばかり考えており、すでに孤独の中にいたように思います。
そんな気持ちのまま2週間検診に行ったのでした。