寝不足で迎えた朝。
この日は体育の日で祝日の月曜日でした。
助産師さんに、昨晩はお産の人がいなかったから静かだったしよく眠れたでしょうと言われて苦笑い。
話が逸れるのですが、2020年の体育の日はいつだろうと思って今年のカレンダーを見たら10月に祝日がありませんでした。
体育の日って消滅したのかな、と思い調べてみると2020年から体育の日はスポーツの日という名称に変わったようです。
更に今年はオリンピックイヤーなので特例でこのスポーツの日がオリンピックの開会式の日に当てられているそうです。
(一体誰得情報、、笑)
話は戻りまして、今日は朝一番の内診後9時から陣痛促進剤の点滴を入れていきます。
夫も約束通り8時半に病院に来てくれました。
はぁ、とうとう点滴かぁ、、今日は点滴の管があるからきっと動きづらいねえ、などとまだまだ呑気にしているわたし。
促進剤を使用しますが、効き目は人それぞれなので、今日お産に繋がらない可能性もあります。
その場合は一旦17時で点滴をストップして明日の朝からまたやり直しをします、と先生と助産師さんから説明を受けます。
もうあまり詳しく覚えていないけど、促進剤によるリスクとして子宮破裂とかあるらしく、使用量の加減や点滴時間に制限があるそうです。
点滴が始まり10時を過ぎた頃、昨日連絡を取ったきりのわたしの母がなんの連絡もなしに急に病院にやってきました。
わたしも夫もびっくりです。
母は険しくて心配そうな顔をしています。
正直、わたしは、あーあ、って思いました。
心配をしてもらえるのもわざわざ駆けつけてくれるのも有り難い事です。
わかっているけど、でもわたしは最後の最後まで夫とふたりだけで過ごしたかった。
産まれたらちゃんと自分から連絡するつもりだったし、呼んでもないのに来るなんて、いくら母親で心配だからってデリカシーがないなぁと思ってしまいました。
この事はこの後に夫に立ち合いを諦めてもらうきっかけにもなった出来事なので、わたしは今でも恨んでいる、じゃないけど、心に引っかかっていてとても残念に思っています。
(もちろん母にはこんな風に思った気持ちを吐露してはいませんが)
母に来て欲しくなかった理由のもうひとつは、弱っているわたしを見せたくないという理由からです。
身内なのに?ってよくわからない感覚の方もいらっしゃるかもしれませんが、わたしは母の前ではいつも“いいこ”でいるようにしています。
それはつまり身内だけど、母親だけど、心を開いていないという事です。
母の事が嫌いなわけじゃないです。
だけど一緒にいて落ち着くとか安心出来る相手ではないのです。
そうなってしまった過程はわたしの思春期時代の出来事や家庭環境にあるのかもしれませんがここでは省きます。
わたしが一緒にいて安心出来て信頼していて本当にどんな姿をも見せられるのは夫だけです。
だから夫の前では弱音も吐くし、甘えるし、わがままも言うし、八つ当たりもします。
きっと大変なお産も側にいてもらえたら頑張れる、そう思ってふたりで乗り越えたい、そう思っていたのですが叶わぬ結果となってしまいました。
わたしは昨日母に入院した旨の連絡を入れた事を今のいままでずっと後悔しています。
母が来てくれたからといって急に促進剤が効いてくるわけでもなく、今度は3人でひまな時間を持て余します。
母が夫に、疲れているだろうから休憩してきたり、気分転換に外出してきてもいいよ、わたしが側にいておくから。と的外れな提案をします。
わたしは、嫌だ!と心の中で叫びます。
わたしの気持ちが伝わったわけではないと思うけど、夫はその申し出を断ってずっと側にいてくれました。
昼食の時間になり、夫は近くのコンビニに食事を買いに行きました。
母は散歩がてら外出してくるね、と病院を出ていきました。
夫と昼食を食べているとなんだかおなかが痛みます。
生理痛のような、いや、生理痛より痛い気がする痛みです。
痛みのある時はイテテ、、と動きが止まるような感じです。
休憩をしながらゆっくりと食べ、夫にも病院食を食べてもらうのを手伝ってもらいました。
あれ?結構痛いかも、と涙が出てきます。
でもまだ声を出す事なく耐えれます。
教えてもらった呼吸法で息と心を整えます。
遠くにあるロウソクの火をゆっくりと消すように、フゥーーー。
涙を流しながら呼吸法を続けます。
陣痛のモニターを見てくれていた助産師さんが内診をしてくれました。
子宮口が開いてきているね!
良かったよ、今日全然ダメだったら明日バルーンの可能性もあったからね!
痛いね、でも呼吸も上手に出来ているからね!
今のうちに浣腸もしておこうね!
(でもまだこの時子宮口は3㎝程度)
そして点滴を操作して更に強い陣痛が来るように量を多く調整していきます。
調節するとすぐ本当に陣痛が強くなるのでわたしはもう本当に無理です、点滴を触らないでくださいと大泣きしながら助産師さんにお願いを何回もしました。
こんな薬のさじ加減で痛みが強くなったり弱くなったりなんて拷問と一緒だと思いました。
この点滴の量を30分や1時間おきに何度も何度も調節しにくる助産師さん。
気が狂いそうになりました。
もう針を抜きたい、この助産師さんを蹴り飛ばしたい、殺してやりたい。
助産師さんが痛みを和らげるために横を向いたわたしの腰を押してくれます。
すぐに夫にも指導が入り、言われた通りに今度は夫が腰を押してくれます。
陣痛の波が来ます。
い、いたい、いたい、いたい〜!!!!
もっと!!!
もっとつよく腰をおしてよ!!?
おしてる!?
いたいよ〜、もういやだよ、、
陣痛の波が引いている時は足元に回ってわたしの足の裏をずっとマッサージしてくれる夫。
マッサージをしてもらいながら涙を流し、こんな話をしました。
正直今まで虐待のニュースを見る度に、自分が子供に対して絶対に虐待をしない親になれると言い切れるか不安だった。
だけどこんなに痛い思いをして産む子を虐待する気になれないと今は思う。
こんなに痛い思いをしてるんだから虐待して痛めつけるなんてむしろ勿体ないね。
こんなに痛い思いをしたんだから大事にしたいと思うよ。
夫は、うんうん、と聞いていました。
陣痛が始まってからずっと、痛い思いをさせてごめんね、ごめんね、代わってあげられなくて本当にごめんねって100回くらい言っていました。
足に腰のマッサージを繰り返してもらいながら14時過頃に母が病院に戻ってきました。
外出する前とは違う殺伐とした空気に驚いていました。
陣痛が来るたびに黙って歯を食いしばりながら涙を流すわたし、必死に腰を押してくれる夫、それをただ見守る母。
やっぱりこの場面に母いらんやろ、と思ってしまうわたしのこころ。
16時頃、痛みが本当に我慢できなくなりました。
いきみたい。
内診をしてもらうと子宮口は9㎝。
すごい頑張ってるね!
促進剤の力じゃないよ!
自分の力で陣痛起こせているからね!
そろそろ分娩の用意するからね!
と、一気に室内がバタバタしました。
まだいきまないで、もうすぐだから、もう少しがまんしてね!
と言われましたがもう無理です。
もう子宮破裂してもいい、そう思って勝手にこっそりいきみます。
おしっこを漏らします。
もう無理だ、歯を食いしばって我慢するのは無理だ。
わたしの中で何かがプチンと切れます。
そして夫と母に叫びました。
「ふたりとも出ていって!!!!!」
長くてすみません。
もう少しだけ続きます。